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見た目って大事

最初は、「運動したいから」というシンプルな理由でスポーツクラブに通い始めました。

そこから、「体力をつける」という目的が出来ました。

さらに「見た目の元気さ」を表現するため、という少し分かりにくい目的も出来ました。

社会人になってから、ずっと思ってきたことですが、「見た目」って結構重要と思っています。

何も、「顔がかっこいい」とかではありません。

・清潔さ
・健康さ
・姿勢の正しさ
・表情
・眼の力

など。

全体的な、その人のオーラみたいなものです。

一緒に仕事をしたり、仕事を任せたりするときに、これらの要素が重要になってきます。

不健康そうな人と健康に満ち溢れている人が居れば、後者が選ばれるのが当然です。

コミュニケーションも、言葉だけではなく、動作、しぐさ、表情などの要素の方が実は多い。

で、私のケース。

会社の看板は持っていません。

だから、完全に個人の力で仕事を受注する、ということになります。

いくらいいことを言っても、「なんとなく気に入らない」と思われては仕事が受注できません。

この「なんとなく」に見た目がすごく入っていると思うのです。

「外見よりも中身」ということをたまに目にしますが、私の感覚では「外見+中身」でやっとゼロ、という感じです。

そこからやっと商談が始まるという感覚。

第一印象を覆すのは非常に難しいので、見た目を重視しているのです。


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ポリシーのあるお店

定期的に通っているお店が何軒かあるのですが、結構変わった、というかものすごく感心する経営者のお店が多いです。

まず、マッサージ店。

受付には「当店はマッサージ店ではありません。治療行為は行いません。治療を望む方は整骨院に行ってください」みたいなことが書いてあります。

店長、スタッフともに、マッサージ師の資格は当然持っています。

店長はスポーツトレーナーの資格も持っています。

理由を聞いたら、「昔は治療行為もしていたけど、限界があるので、リラクゼーション以上、治療未満を目指すことにした」とのこと。

無資格者がいるクイックマッサージのお店が多い中、資格を持っているのにマッサージ店を標榜を挙げない、というのになんだか感心します。

理容室。

「技術を望まないお客さまはお断りいたします。騒ぐ子供がいたら帰ってください」と待合室に書いてある。

この理容室、他に比べて料金が安い。

でも、いわゆる大衆理容ではなく、きちんとカットしてくれます。

で、うちは大衆理容ではない、ということを書いてあるのです。

子供の件は、カットだけに来るのではなく、リラックスしたいからくる場合もあるので、騒ぐと店の雰囲気が崩れるので、騒ぐ子とも連れは帰ってください、と書いてあるのです。

整骨院。

結構頻繁に料金体系が変わります。

だんだん安くなっていっています。

単にディスカウントしているわけではなく、別の部分の料金を上げて、整合性を保っているそうです。

電気+マッサージ+カイロプラクティック+レーザー+ゲルマニウム温浴10分で950円。

だいたい一時間くらい。

スタッフはいますが、施術は全部院長。

一時期、スタッフに教えていたそうですが、お客の方から「院長のときと違う」とクレームがあり、教えるのを断念したので、自分ひとりでしているそうです。

3つお店を挙げましたが、どこも、とにかくお客さんが多いです。

いいサービスを提供したい、ということは共通していて、経営者の考えがしっかりしている。

自分のお店の役割、というのを明確にしているのです。

学ぶ部分が多々あるな、と思ったりするのです。


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「がんばれ」はうつ病患者に禁句か?

昨日に引き続き、うつ病関連の本の話題。

うつ病患者への接し方として「がんばれ」と言ってはいけない、と大抵の本に書いてあります。

根拠は分かります。

うつ病はエネルギーが切れて、それでも走り続けた結果発症、というパターンが多い。

エネルギーが無い人に「がんばれ」と言うのは、ガソリンの入ってない車に「走れ」と言っているようなものだから。

似たような記述として「励まさない」というのもあります。

これも同じ理屈。

ただ・・・・。

あくまでも個人的な見解ですが、言葉だけを一面的に捉えるのはどうなのかな、と思ったりするのです。

たとえば「がんばれ」の場合。

友人、知人、会社の人が全員メンタルヘルスに精通しているなんてケースはちょっと考えづらい。

ほとんどの人は、どう接していいか分からないので、連絡を取ろうにも、何を話していいのか分からない。

それでも、心配してくれている人は連絡を取ってくれる。

そんなときに「がんばれ」って言われても、私の場合は特にプレッシャーなんか感じなかったです。

逆にものすごくうれしかった。

どんな言葉を掛けられようが、そのフレーズなんかより、連絡を取ってくれた事実自体がものすごくありがたいことだと思うのです。

で、励ます、という問題も含まれています。

休職された経験のある方はよく分かると思いますが、休職期間中、というのは結構孤独です。

外出しようにも、外出する体力が無いし、かといって自分から積極的に電話やメールで連絡、ってこともしづらい。

そんなときに「連絡をくれる」というのは、自分のズタズタになった自信の回復に繋がったりするのです。

仕事が出来る、出来ないの問題ではなく、「自分を心配してくれる人がいる」というのは励みになる。

結局のところ、私の場合は言葉なんてどうでもいい。

その人の気持ちが伝わってくれば、「がんばれ」と言われようが、励まされようが、関係ないのです。


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完全主義への勘違い

うつ病の本によく載っているのは、

「完全主義を止める」

ということ。

80%の力でいいよ、って書いてあります。

完全を目指すから、やりすぎて病気になるので、少し力を抜く、という考え方。

別にこの考え方を否定するわけではありません。

仕事でも、プライベート(例えば習い事)でも、力を抜いていたほうが、結果的にいい結果になることの方が多いからです。

ただ、私の見解が少し違うのは

完全主義=力の入れすぎ

という構図は、少し短絡的かな、と思うのです。

やはり何かをするときは、完成度の高いもの、クオリティの高いものを目指したい。

私の場合、120%くらいの目標を常に設定しています。

他人から見れば、「完全主義」と見えるかもしれません。

自分の能力より少し高いけど、ジャンプしたら何とか届きそうな目標。

で、いろいろ考えたり、行動したりします。

結果的には届いたり、届かなかったりいろいろです。

この「届かなかったとき」への反応が一般的に言われている完全主義とは違うところ。

やるべきことはやったので、満足しています。

今の自分の能力では届かない、ということが分かっただけで収穫だからです。

よくフィギュアスケートの浅田真央選手のコメントをイメージしています。

浅田選手はいつも

「パーフェクトな演技を目指します」

とコメントしています。

実際の演技では、どこかでつまづく場合が多いです。

でも、その失敗を気にせず、気持ちを切り替えて、後の演技はすばらしかったりします。

パーフェクトは目指すけど、結果的にパーフェクトでなくてもいい、とにかく今自分が出来る最善を尽くす。

完全主義の落とし穴は、つまづくとすべて放棄してしまうこと。

でも放棄せずに、あくまでもやり遂げることは病気であろうと無かろうと、私の変わらない部分だと思います。

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自分の欠点に焦点を絞ると凹む

誰だってそうだと思いますが、自分の嫌な部分ってあると思います。

なんとか直したい、と思うのは当然の心の動きです。

けど、直せないことの方が多いような気がします。

性格であったり、環境が原因であったり・・・。

あまりにもそのことに神経を遣い過ぎるとなんとなく「自分はダメな人間」という思い込みのトラップに嵌ってしまいそうな気がするのです。

人にはいい部分と悪い部分がある。

悪い、って書いたのは、主観的にそう思っている場合もあれば、客観的に見てもやっぱり悪いという場合もある。

例えば、「怒りっぽい」という性格というか、行動パターン。

直したくても直せない場合がほとんどです。

というか、逆に怒りを押さえつけるとストレスになったりします。

ここに焦点を絞っていろいろ考えると解決しません。

別の角度から見てみる。

自分が好きと思っている部分をとことん伸ばしてみる。

これは意外に簡単です。

で、出来る部分でいろんなことをする。

話を戻して、「怒りっぽい」。

裏返しのいい部分として「素直に感情を出す」。

怒ってばかりではなく、人を褒めたり、尊敬したりすることを躊躇なく言える人になることを目指す。

そうすると、怒ることもその人の個性、と思って、周りからも受け入れられやすいです。

自分自身で落ち込むことも少なくなる。

欠点を無くすより、長所を伸ばす。

どうせ完璧な人間にはなれないのだから、その方が楽に生きられるような気がします。


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身体は素直に出来ている

今日、5時にいつもどおり、茶助が起こしにきました。

やたら眠いので、無視して布団の中。

6時になって諦めて起きました。

で、いつもどおり、PCを立ち上げて、メールチェックとブログのコメ返し。

で、今日何書こうかな、と頭の中をめぐらせる。

5分後・・・。

何も思いつかない。

5分で何も思いつかなければ書かないことにしているので、また布団に戻り、眠ってしまいました。

8時過ぎに妻に起こされて朝食。

「9時からスポーツクラブに行こう」と思っていたので、少し時間が余り、再度布団へ。

起きたら13時でした・・・。

こんなに眠るのは久しぶりです。

で、なんでかな、と考えた。

答えは単純で、「疲れていたから」。

月曜日から毎日スポーツクラブに通ってました。

歩くのに飽きたので、毎日エアロビクス。

で、昨日は「ピラティス」という、パワーヨーガみたいなレッスンも追加。

インナーマッスルを使うトレーニングです。

これが結構、きつかった。

結局のところ、毎日エアロビクス+慣れないインナーマッスルを使う、で疲れていた。

だから眠り続けた。

ブログのアイデアが出なかったのは、やはり疲れていると頭が働かないから。

いい傾向だな、と自分では思っています。

会社員のときは疲れ知らずのストレス知らずでした。

本当は疲れているのに、それに気付きもしなかった。

だから、突然倒れる、ということを繰り返したのです。

疲れたら休むという当たり前のことが出来なかった。

ちょっとだけ進歩したかな、と思ったりしたのでした。


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「いいかげん」は「良い加減」

結構有名な言葉だと思います。

別に言葉遊びではなく、実際そのとおりだと思うので。

あんまり何でもきっちりと考えたり、行動したりすると疲れきってしまいます。

責任感は必要だけど、最大限の努力をした結果、失敗してもそれをひきずっているとストレスになる。

例えば営業数字目標。

計画して実行し、それに向かって努力するのはいいことですが、結果的に達成できない場合も多々あります。

上司からの叱責があるかもしれません。

でも、出来なかったのはもう取り返せないので仕方ない。

何故達成できなかったのかを検証する必要はありますが、凹んでいる場合ではありません。

常に成果を出し続けるなんてことをしていたら、病気になってしまいます。

例えば、その月に達成したら、次の月はちょっと余裕を持った営業活動をする。

さぼる、という意味ではなく、その月には数字にならないけど、種まきとして行わなければいけない営業活動があるので、それをする。

営業の難しいところは、毎月毎月達成を目指していると、だんだんジリ貧になってしまうところだと思います。

新規開拓って難しいので、どうしても既存のお客さまで数字を上げようとする。

新規が増えないと、ベースの数字が上がりません。

で、頭打ちになる。

だから、目先の数字はある程度「いいかげん」に思っておいて、長期的な持続的な数字の確保というのを視野に入れた営業活動をする必要があるわけです。

何回か触れている「柔軟性」。

これがないと、誰かに振り回されたり、自分自身に振り回される羽目になると考えます。


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愛と理性

旅行が趣味です。

で、ガイドブックなんか持たずにぶらぶら歩くのが好きです。

だいぶ前ですが、どこかの短期大学の正門に書いてあった、学校の理念。

「愛と理性」。

結構、衝撃を感じ、しばらく考え込んでしまいました。

なんとなく矛盾しているようなこの組み合わせ、でも矛盾はしていない。

人と接するときは両方必要だな、と感じました。

けど、ものすごく難しいとも感じた。

愛って、全面的にその人に与えるもの。

部分的に愛、というのは与えることが出来ない。

で、理性。

この解釈に戸惑った。

理性で愛を与える対象を決めるという意味なのか、愛してても、理性で判断することを忘れてはいけない、という意味なのか。

しばらく考えて、後者かな、と漠然と思いました。

私の選択としては、接する人すべてに愛を持って対応したい。

だから、その対象を理性で絞ることは難しい。

だけど、無条件に愛を注ぐだけでいいのか、と聞かれればそれは違う。

理性で判断しなければいけないことって多々ある。

理性が愛を邪魔するのか、という命題。

恋愛では防御線として理性が歯止めを掛ける。

けど、一般的な愛、というものを考えると、理性との共存は可能、との結論になりました。

ややこしいことを書きましたが、シンプルに考えると、感情と論理は人と付き合う上での両輪で、どちらが欠けてもうまくいかない。

だからどうしたの?って聞かれそうですが、いつも結構苦労するところなので、とりあえず書いてみただけです。


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主治医からの就業制限

昨日、診察日で、そろそろ開業後何をするのか、主治医に伝えなければいけないと思って、その話をしました。

妻以外の他人にすべてのやりたいことを話すのは初めてです。

結果:

対企業の仕事で一つ。

対個人の仕事で一つ。

これしかしてはいけないと強く言われました。

理屈は分かります。

私は会社員ではありませんが、会社員とするなら、長期休職あけの復職、という位置づけになります。

だから、再発防止のために、いきなりやりたいことを全部するのはあまりにもリスクが高いのです。

予想はしていましたが、ちょっと残念。

それぞれのビジネスモデル、結構緻密に計算して作っているので、「自信過剰」と言われるかもしれませんが、それなりに成功する可能性は高い。

それが実行できない。

ただ、ずっと凹んでいたわけではなく、「とりあえず、スタートとしてはそれでもいいか」と考え直しました。

仕事と健康、どちらが大切かと聞かれれば、健康に決まってる。

主治医が危険と判断した以上、それに従うのは当然です。

別にお金に困っているわけではない。

もちろん、裕福ではないけれど、生活は出来る。

今出来ることをしていれば、きっと将来に繋がる。

私は自分自身が好きだし、ものすごく信頼しています。

だから、主治医の就業制限による、業務を狭めることを受け入れます。

ベストな選択なんて探してたら、いつまで経っても何も出来ないし、悩む。

ベターだと思ったから、たしかに主治医の就業制限があるけれど、それに納得して決断したのは自分なので、自分を信じます。


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愚痴ばかりではつまらない

昨日、妻がふと言ったこと。

「もう、○○さんには電話しない」

○○さんは、だいぶ前、妻の職場で働いていた会社の人。

「なんで?」って聞いたら、

「久々に電話したのに、仕事の愚痴ばっかりで楽しくない」とのこと。

3年ぶりくらいに電話したらしい。

まあ、そうだろうな、って思う。

久々の電話なのだから、近況報告とか、今やっていることとか、もっと他愛の無い話や、楽しい話を期待して妻は電話したんだと思う。

それが、仕事の愚痴。

「何で、久々の電話で仕事の愚痴を聞かなくちゃならないの?」ってなるのは当然だと思います。

別に、愚痴が悪い、という話ではありません。

普段接している人で、たまにはガス抜きとして愚痴を言うのは、精神衛生上いいことだと思います。

ただ、それはあくまでも、普段接していて、楽しい会話とかをしているから。

で、何で久々の電話で愚痴になるのかなって考えると・・・

仕事の愚痴以外に話すことが無い。

というのも、一つの原因かなって思ったのです。

確かに、生活活動時間で仕事に費やす時間は長いので、仕事の話になるのはある種仕方が無いかもしれません。

だけど、仕事でのちょっとしたエピソードや、変わった体験など、他に話すことがあるはずなのに、と思うのです。

それが無い、となると・・・

冷たい言い方をすれば、仕事にその人は飲まれているだけ、ってことです。

「働いている」ではなく「働かされている」。

友人の愚痴なら親身になって聞きますが、すごく昔の知り合いと久々に会話して愚痴、となると、もうその人とは話したくなくなります。

ガス抜きをしたい気持ちは分かります。

でも、久々に話して、いきなりガス抜きはちょっとマナー違反かな、って思ったりしたのでした。


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Author:まさ@茨木
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